合同会社臨床運動障害研究会

レポート10 日系移民

平成25年2月25日


皆さんは1950年代にドミニカ共和国に移住した日本人たちがいることを知ってますか?

第二次世界大戦後、日本政府は海外移住振興策を打ち出し、 ブラジルを初めとして中南米諸国への移住も移住も相次いだ始まりました。
ドミニカ共和国への移民は、ドミニカ政府が農業開発のために日本人移民を受け入れるという条約を日本政府との間に締結し、「18haの土地の無償譲渡」や「入職予定地は中程度の肥沃度」など、他の中南米諸国と比べても破格の好条件のもと募集され、厳しい審査を経て行われました。しかし、実際には日本政府によって約束されていた面積の約3割の土地しかあたえられず、その土地も岩や石だらけの荒地で塩害にも見舞われるといったのうちには全く適さない土地だったのです。また一方の当時のドミニカ共和国・トルヒーヨ政権は、移住地を隣国ハイチとの国境にすることで、ハイチからの侵入者を防止するための形態強化、荒地の開発に利用するといった入植・開発計画を打ち出したいました。夢と希望を持ち移住費用のため家を売ってまで移住してきた日本人たちは、どんな気持ちだったでしょうか。
その後、他の南米諸国へ移住する人、夢を諦め日本に帰国する人が多数いる中で、ドミニカ共和国での農業移住に夢と希望を持ち続けた人たちは、その開拓精神と日本人としての誇りと尊厳を保ち、不屈の精神で多くの諸困難と立ち向かいました。今、半世紀の時を経て、今日の日系社会の礎を築き、日本人の信頼や東洋野菜の普及などドミニカ共和国社会への大きな貢献を果たしています。
そして先日、移住者一世及びその子孫のアイデンティティーを証明し、両国の国策移住を史実として刻印し、これを将来に受け継ぐことを目的に、またこれまでの移住者の貢献を称え、敬意を表し、その子孫が末永くドミニカ共和国社会の一員として両国の友好親善と発展のために活躍することを願う記念碑が、日本人移住者が第一歩を印したサントドミンゴ港の傍らに建立されました。
2000年代、日本で移住に関しての裁判が行われています。すでに判決も出ており、ニュースで目にした人もあったと思います。私も目にしていたかもしれないですが、恥ずかしながらここドミニカ共和国に来るまでそのような事実は全く知りませんでした。ドミニカ共和国に来て、語学学校に通っている期間に所長からの講話があり知った次第です。
そのような歴史を知って、風化させずに伝えていくのは1つの役割、でも実際にその国に来ていて僕は他に何が出来るのだろうかと考えました。今月初めに、日系社会ボランティアで来ているNs.の要請で日本人&日系人対象の健康講座の1コマとして、体操指導をさせていただく機会を得ました。また訪問に同席させていただき、訪問RHもさせていただきました。僕に対するJICAからの要請は、ADRでの活動。でも理学療法士として僕の知ってる知識で役に立つことがあるのであれば、業務に差し障りのない休日などの時間を利用して、今後もこのような活動が出来たらと思っています。

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