合同会社臨床運動障害研究会

レポート19 継続するために

平成25年11月30日

 

カルテが始まって1ヶ月が過ぎました。同僚が、以前相談された症例についてしばらく経って「あれから15°も曲がったのよ」と報告してきました。日本だと何気ない会話かもしれないですが、この国で実際の角度の変化を交えて話するのはあまりないことです。今までは「mejorando = 良くなっている」って具体的な変化を示す言葉はなく、抽象的な言葉だけやったんですけどね。カルテは若いセラピストは積極的に協力してくれています。古株のセラピストも皆とはいかないものの、ずいぶん協力してくれています。ドミ共人はプライドが高く、なかなか人に物事を尋ねない人種です。ひょっとしてゴニオメーターの使い方がしっかり解らないのではないかと思い、ROM計測表を作成して配布しました。そうしたら計測方法をセラピスト同士で確認しあったり、ゴニオメーターの細かい数字を読んでたりしてくれています。でもあるセラピストから、冗談交じりに「仕事が増えたやないの」と言われました。日本でもそうだと思うのですが、新人には1つの仕事としてすんなり受け入れられる物でも、今までいた人にとっては+αの仕事になってしまうため、皆に受け入れてもらうまで時間がかかると思っています。

 

今月は7月に実施して以来、延ばしに延ばされまくった勉強会を実施しました。こちらが日にちを提案しても「その日は無理」、「この日にしましょう」と相手側から指定してきても直前で中止になったり。。。。先月、Dr.診療部長が主になってADRスタッフ相手に勉強会が実施されました。その勢いを駆り、「僕も参加したい人だけ相手に細々と勉強会を実施します」ってTF部長に進言して了承を得たので、食堂を会場にして日にちを決めて張り出しました。そしたら、CPが「何で食堂みたいな狭いとこでするの?会議室を借りるからもっと大人数に対してやってよ」ってことで、あれよあれよという間に決まりました。いや、、、、だから、、、、前からそう言うてましたやん、、、、でも、まぁ結果オーライ。時には強引に事を進めることも大切ですね。勉強会は勤務時間内で行うため、患者さんを診る人もいて全員参加とはいかないですが、学生も交えて20人程参加してくれました。

 

僕は勉強会の方法を、「僕がパワポ作成→休憩時間、一人の同僚に説明して教えながら文章(スペイン語)を修正→同僚が全体に対してプレゼン」という形をとってます。そうすることで、その同僚は「説明時に勉強になる+全体に対してプレゼンするため自分自身で再度勉強する=理解度がさらに向上する」と思ったからです。僕が帰国後もその同僚に尋ねれば、なんとかなるんじゃないかということ、パワポを渡しておけば再度プレゼンも実施可能じゃないかという思いがあります。当然、僕も復習になりますし、スペイン語の勉強になりますしね。

今回は、「ADLを考えよう」というテーマにしました。こちらのセラピストはDr.からの指示が間違っているのか合っているのか考えることもなく、ただただその指示通りのみ行うということが通常です。

整形疾患なら、時期が経ち過ぎている関節に対して、物療&筋トレしてグイッと曲げる、で終わり。だから、そのptのX-pはチェックしたの?その関節状態でさらに曲がるの?ADLの何が出来なくて困ってるの? じゃあ、「道具使用」を含めた「代償」という方法もあるんじゃないか?としました。

脳血管疾患なら、ストレッチ→歩行器で立つor歩く、その他は全介助、で終わり。だから、そのptは立てるのに移乗に介助がいるの?何故bed上動作は全介助なの? じゃあ、こういった「方法」、「代償」や「装具」を使用してみるのはどうか?としました。

違った種類の症例を5つ程あげて行いました。今回の勉強会を行った1つの目的に、カルテのプレゼンをしてからずいぶん時間が経ってしまったため、再度カルテ記入の促しの意図も含まれています。先程あげた整形疾患の「時間が経ち過ぎてる関節」は変化があるのか「ROM-t」を書きましょう!脳血管疾患の「その他は全介助」で生活はどう行っているのか「基本動作、Barthel index」を書きましょう!そして最初のRHと最後のRHではどこがどう変わったのか、ptの変化を見ましょう!何を目標にしてRHをしていますか?といった具合です。

私も日本で働いている時に、新しい書類が増えると慣れないのもあって、ついつい忘れたりしていたことを思い出します。今、彼らにとってカルテ記載は慣れないものですし、ただ仕事の1つとして捉えているのがほとんどだと思います。でも上記のように意義を理解してもらい、「やらされているもの」から「やる必要があるもの」に意識が変化してくれば、絶えることなく残っていくのではないかと思います。ほんの少しでもドミニカ共和国のリハビリが発展するように、カルテだけではなく、他の事においても同様、僕が離れた後でも残っていくような活動を今後もしていきたいと思います。