合同会社臨床運動障害研究会

ドミニカ共和国レポート

臨床運動障害研究会スタッフの清水康弘が、理学療法士として2012年9月より(2年間)ドミニカ共和国に赴任しました。
青年海外協力隊では、どのような面接・語学研修を経て海外へ飛び立つのか?また、現地でどのような活動を展開するのかをレポートさせて頂きます。
少しでも同じ目標を持たれた先生方のご参考になれば幸いです。

レポート12 乗り物事情

平成25年4月30日


ドミニカ共和国に来て、早半年が過ぎました。ということは、活動の1/4が終わったということで。。。。あっという間で、時間の経過が本当に早く感じます。先日、日本でいうところのDr.診療部長と活動について、派遣されているセラピスト&調整員(JICAボランティア担当員)と話し合いがありました。我々が思う問題点やそれに対する提案なども話合えました。その結果も含め、これからしていこうと思うことが少しづつですが見えてきています。忙しく活動することで時間の流れの速さをさらに感じるでしょうが、後悔のないようにこれからも頑張って走り続けたいと思ってます。

最近の1番のNEWSといえば、今月1日に待ちに待ったMetro(地下鉄)がついに、ついに開通しました!「ドミニカ共和国に地下鉄?」って思う人もいると思いますが、僕が来る数年前から1線だけ首都を縦断するラインが走ってました。今回は横のラインが開通したのです。昨年末に1週間だけ試乗で動き、2/27の独立記念日に開通ではないかと言われて開通せず、、、、3月中旬と言われて開通せず、、、、しかし、今回3度目の正直でやっと開通しました。何故こんなに喜んでいるかと言いますと、通勤に使えるからなんです(>_<)  今回はドミニカ共和国の乗り物事情についてお話します。

1) Metro:街を縦断する1号線と横断する2号線の2線。1回RD$20。日本のようにカードにお金をチャージして、自動改札を利用することも可能。駅と車両に警察が常駐している。時刻表はないが、だいたい5分強に1本ペース。

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2) onsa:大型乗合バス。1回RD$15。時刻表は無く、20~30分待つこともあり。各バス停で乗り降りする。

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3) guagua:小型乗合バス。1回RD$25。頻繁に数多く走っていて、ルートが決まっているが、乗り降り自由。当然時刻表はなく、走っているのを呼び止めて乗る。たくさん人を乗せたいため客引きをするため、なかなか走り出さない時あり。
4) guaguita:乗合バン車両。1回RD$25。頻繁に数多く走っていて、小型のため小回りが利く。これもルートが決まっており、乗り降り自由。
5) concho=carro publico:乗合普通自動車でルートが決まってるもの。1回RD$25。数多く走っているが、自動車内が狭くスリ等の被害riskが高いため、JICAでは使用禁止。
6) moto concho:バイク版。数多く走っていて、目的地まで連れってくれるが、危険のためJICAでは使用禁止。
7) taxi:日本と同様。taxi会社にtelすると、無線で近くにいるtaxiを探して、迎えにきてくれ目的地まで連れってくれる。1回RD$150~。ドミニカ共和国では、19時~7時まで徒歩での外出は禁止されているので、この時間は利用することになる。

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これまではguaguaかguaguitaを使用してきました。 3人掛けの椅子に4人坐らされたり、扉につかまり立ちをするほど超混雑してまして(-_-;) さらにドミニカ共和国は車やバイクの交通マナーが非常に悪く、車線割り込みは当たり前、交通渋滞も頻繁に起こり、結果事故も頻繁に起こってます。そしてさらに交通渋滞が起こるといった悪循環。。。。酷い時は5km強の通勤に30分弱かかるときもありました。ランニングして行っても一緒やん。。。。それがMetroのおかげで時間が読める上に冷房も効いており快適!駅や車両には警官が常駐しており、安全面も考慮されています。おまけにRD$20と安いとくれば使わない訳がありません(≧▽≦)
僕の派遣先では、交通事故、特にバイク事故による骨折や切断に至ったptをよく見かけます。Metro開通により、交通渋滞緩和や交通事故の減少に繋がればと思います。

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レポート11 第3回WBC優勝とリハビリテーション学会

平成25年3月25日


第三回WBCはドミニカ共和国の優勝で幕を閉じました。決勝リーグに入るまではさほど盛り上がりもなかったんですが、準決勝&決勝は各家庭からの応援ラッパの音と歓声が聞こえてました。優勝が決まった後は、クラクションや音楽を音量大で流しながら街中を走っている車の音と騒ぎ声が聞こえてましたが、翌日には何事もなかったように普通の平日に戻ってました。職場でもさほど話題に上ることもなくって感じでしたね。日本は残念でしたが、ドミニカ共和国がその敵討ちを果たしてくれ、また現在滞在している国が優勝したことは非常にうれしいことでした(^_^)v

活動の方は、ADRに先月中旬からOT&POが着任しました。現在、手探りしながらどうやっていくのか話し合いながら進めています。
そんな中、先月末、ドミニカ共和国第二の都市Santiagoにてドミニカ共和国で初のリハビリテーション学会OTFOL(Ortesistas Terapeutas Fisicos Ocupacionales y del Lenguaje)が開催されました。今回の学会はSantiagoのリハビリ施設に派遣されている先輩隊員が主になり企画し開催されたものです。目玉としてアメリカからアメリカPT協会会長Dra.Marilynが講演に来ていただけました。そして僕も様々な事情が重なった結果、急遽1つのTaller(講演)をすることになりました。でも僕自身まだまだスペイン語もままならない状態なので、参加費用も発生している学会なのでグダグダにするわけにもいかず、僕の代わりに学会メンバーであるSantiagoのPTに話してもらうという形をとりました。でも結果としては、ドミニカ人のルーズさから開始時間に集まらず、定刻に始められなかったため最後まで出来ずという悪循環もあり、到底納得の出来ない出来でした。。。。(T-T)
今でもそうなんですが、他言語にて伝えたい事をしっかり人に伝えるって事の難しさを実感しました。そしてADRではスタッフに助けられて行うことが出来ていると、同僚・仲間のありがたさも実感しました。今回行ったtallerは人数制限のため、ADRのスタッフは受講出来てません。後日ADRのスタッフに対して再び実施して欲しいと要望されているため、今回の失敗を活かして次はしっかり伝えられればと思います

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レポート10 日系移民

平成25年2月25日


皆さんは1950年代にドミニカ共和国に移住した日本人たちがいることを知ってますか?

第二次世界大戦後、日本政府は海外移住振興策を打ち出し、 ブラジルを初めとして中南米諸国への移住も移住も相次いだ始まりました。
ドミニカ共和国への移民は、ドミニカ政府が農業開発のために日本人移民を受け入れるという条約を日本政府との間に締結し、「18haの土地の無償譲渡」や「入職予定地は中程度の肥沃度」など、他の中南米諸国と比べても破格の好条件のもと募集され、厳しい審査を経て行われました。しかし、実際には日本政府によって約束されていた面積の約3割の土地しかあたえられず、その土地も岩や石だらけの荒地で塩害にも見舞われるといったのうちには全く適さない土地だったのです。また一方の当時のドミニカ共和国・トルヒーヨ政権は、移住地を隣国ハイチとの国境にすることで、ハイチからの侵入者を防止するための形態強化、荒地の開発に利用するといった入植・開発計画を打ち出したいました。夢と希望を持ち移住費用のため家を売ってまで移住してきた日本人たちは、どんな気持ちだったでしょうか。
その後、他の南米諸国へ移住する人、夢を諦め日本に帰国する人が多数いる中で、ドミニカ共和国での農業移住に夢と希望を持ち続けた人たちは、その開拓精神と日本人としての誇りと尊厳を保ち、不屈の精神で多くの諸困難と立ち向かいました。今、半世紀の時を経て、今日の日系社会の礎を築き、日本人の信頼や東洋野菜の普及などドミニカ共和国社会への大きな貢献を果たしています。
そして先日、移住者一世及びその子孫のアイデンティティーを証明し、両国の国策移住を史実として刻印し、これを将来に受け継ぐことを目的に、またこれまでの移住者の貢献を称え、敬意を表し、その子孫が末永くドミニカ共和国社会の一員として両国の友好親善と発展のために活躍することを願う記念碑が、日本人移住者が第一歩を印したサントドミンゴ港の傍らに建立されました。
2000年代、日本で移住に関しての裁判が行われています。すでに判決も出ており、ニュースで目にした人もあったと思います。私も目にしていたかもしれないですが、恥ずかしながらここドミニカ共和国に来るまでそのような事実は全く知りませんでした。ドミニカ共和国に来て、語学学校に通っている期間に所長からの講話があり知った次第です。
そのような歴史を知って、風化させずに伝えていくのは1つの役割、でも実際にその国に来ていて僕は他に何が出来るのだろうかと考えました。今月初めに、日系社会ボランティアで来ているNs.の要請で日本人&日系人対象の健康講座の1コマとして、体操指導をさせていただく機会を得ました。また訪問に同席させていただき、訪問RHもさせていただきました。僕に対するJICAからの要請は、ADRでの活動。でも理学療法士として僕の知ってる知識で役に立つことがあるのであれば、業務に差し障りのない休日などの時間を利用して、今後もこのような活動が出来たらと思っています。

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